福島県の3.11被災地を見てきた①(震災遺構 請戸小学校)

ちきりんさんのブログで福島県・被災地の旅行記を読み、今年(2024年)の家族旅行は福島県の沿岸部に行こうと考えています。

chikirin.hatenablog.com

ですがその前に、昨年仕事で福島沿岸を訪問する機会がありました。旅行の下調べとして、上記ブログでチェックしていた施設の見学をしてきたため、写真で記録しておきたいと思います。

1|震災遺構 請戸小学校(浪江町

東日本大震災津波で多大なる被害を受けた浪江町請戸地区。その後の原子力発電所の爆発で町民は皆、町外へ避難しました。2023年現在、浪江町立請戸小学校へ向かう道は、見渡すかぎり雑草の生えた田んぼや空地が広がっていました。

「震災遺構 請戸小学校」を訪問してまず感じたことは、津波のすさまじさです。何度もテレビで目にしてきた大津波ですが、実際に被害に遭った建物を目の当たりにすると、本当にとんでもない勢いだったのだと実感します。

中央に倒れている棚は、壁か引きはがされて機能停止した複合盤。ここで各室の時計などを一括管理していたため、構内に残っている時計は15時37分を刻んだまま停止しています。

1階の壁や天井は震災当時のまま。なくなってしまった教室の壁が、大津波の威力を物語っていました。

請戸小学校は、2階床上10cm程度まで津波が浸水したそうです。被害の爪痕を残した1階と比べ、2階は震災前の教室の様子が分かる展示室になっていました。

請戸小学校の児童、教職員は地震発生直後に大平山まで避難したため、難を逃れました。2階展示室では、当時の津波被害の範囲や震災前の請戸地区の模型を見ることができます。

屋外には大きく曲がったプールの手すりなどが展示。

床が抜けた体育館には、卒業式の準備が残されていました。

被災地を実際に見て回ったことで、次は小学生の子どもたちも連れて再訪したいとの思いがさらに強まりました。に続きます。